アニメーション業界におけるメカニカルデザイナーのパイオニア、大河原邦男さんをホストに迎えるトークイベント「MECHANICAL CITY INAGI PRESENTS メカデザイナーズサミット Vol.08」が、3月20日(土)に東京・稲城市の「いなぎ発信基地ペアテラス」より生配信された。
イベントでは、メインホストの大河原さんに加え、キャラクターモデラーチームユニット「ストリームベース」から小田雅弘さんと“川口名人”としてガンプラファンにはおなじみの川口克己さんが登場。また、司会進行は月刊モデルグラフィックスなどで活躍するフリーライター・廣田恵介さんが担当した。
それでは早速、ディープな話題満載となったイベントの様子をお届けしよう。
イベントでは、メインホストの大河原さんに加え、キャラクターモデラーチームユニット「ストリームベース」から小田雅弘さんと“川口名人”としてガンプラファンにはおなじみの川口克己さんが登場。また、司会進行は月刊モデルグラフィックスなどで活躍するフリーライター・廣田恵介さんが担当した。
それでは早速、ディープな話題満載となったイベントの様子をお届けしよう。
今回のイベントは、ガンプラが40周年を迎えた2020年に開催を予定していたもの。新型コロナウイルス感染症の発生を受けて中止となったが、2021年に改めて無観客のオンライン配信イベントとして実施されることとなった。番組冒頭では、高橋かつひろ稲城市長と声優のはたしおりさんが登場し、イベントを盛り上げる。
そして話題は、ガンプラが発売された40年前のエピソードからスタート。『機動戦士ガンダム』が初放送された1979年当時、放送中に発売された立体物は、玩具メーカー・クローバー製のおもちゃのみ。模型は発売されていなかったため、大河原さん自身も木材を使ってザクを作るなどしていたそうだが、模型誌には読者投稿作品としてフルスクラッチされたザクのヴィネット(小型のジオラマ)やシャア専用ザクが掲載され始める。
その頃は一般の模型ファンだった小田さんは、投稿作品に使われた「ポリエステルパテ」という素材に衝撃を受けたという。それまでは硬化に時間のかかるパテや、プラ板を貼り合わせたものを削るなど時間も手間もかかる手法しかなかったところに、短時間で硬化し造形できるポリエステルパテが現れたことで作業効率が飛躍的に向上したそうだ。
1976年ごろの『宇宙戦艦ヤマト』ブームでは、まだ模型シーンに大きな変化はなかったが、その後プラ板が一般模型店に並ぶようになり、東急ハンズなどホームセンターの開店もあって、自動車用品など模型用以外の様々なマテリアルや工具が手に入るようになった。『ガンダム』放送と時を同じくして、複数の状況が重なるように実現したことが日本の模型シーンに爆発的な技術革新を促した。
「シリコンゴム」を使った複製技術もそのひとつで、ザクなどジオンの量産機を複製しずらりと並べることができたり、ストリームベース内では共用パーツを作成してクオリティの底上げにつなげたりしたという。
なお、技術革新以前は、プラ板を貼り合わせたものを削る際に道路のアスファルトやブロック塀に擦りつけて削っていた、という当時の“模型製作あるある”も披露されたいた。
そして話題は、ガンプラが発売された40年前のエピソードからスタート。『機動戦士ガンダム』が初放送された1979年当時、放送中に発売された立体物は、玩具メーカー・クローバー製のおもちゃのみ。模型は発売されていなかったため、大河原さん自身も木材を使ってザクを作るなどしていたそうだが、模型誌には読者投稿作品としてフルスクラッチされたザクのヴィネット(小型のジオラマ)やシャア専用ザクが掲載され始める。
その頃は一般の模型ファンだった小田さんは、投稿作品に使われた「ポリエステルパテ」という素材に衝撃を受けたという。それまでは硬化に時間のかかるパテや、プラ板を貼り合わせたものを削るなど時間も手間もかかる手法しかなかったところに、短時間で硬化し造形できるポリエステルパテが現れたことで作業効率が飛躍的に向上したそうだ。
1976年ごろの『宇宙戦艦ヤマト』ブームでは、まだ模型シーンに大きな変化はなかったが、その後プラ板が一般模型店に並ぶようになり、東急ハンズなどホームセンターの開店もあって、自動車用品など模型用以外の様々なマテリアルや工具が手に入るようになった。『ガンダム』放送と時を同じくして、複数の状況が重なるように実現したことが日本の模型シーンに爆発的な技術革新を促した。
「シリコンゴム」を使った複製技術もそのひとつで、ザクなどジオンの量産機を複製しずらりと並べることができたり、ストリームベース内では共用パーツを作成してクオリティの底上げにつなげたりしたという。
なお、技術革新以前は、プラ板を貼り合わせたものを削る際に道路のアスファルトやブロック塀に擦りつけて削っていた、という当時の“模型製作あるある”も披露されたいた。
『機動戦士ガンダム』のメカニカルデザインについて、「ガンダム」は大河原さんのデザインをアニメーションディレクターの安彦良和さんがクリンナップ、「ガンキャノン」は安彦さんの案を大河原さんがフィニッシュしたそうだが、「ガンタンク」はプレイバリューの高い組み換え遊びができるおもちゃをスポンサーへ提案するためにデザインした、と大河原さんが明かす。
また、ザクについても富野由悠季監督から「モノアイさえ守ってくれれば自由にデザインして良い」と言われたと語っていた。
『ガンダム』第1話のスタッフ試写に参加した大河原さんは、「(こんなにすごいものを)作ってしまって良いのか」と唖然としたという。特に「ザクがコロニーへ潜入していくシーンが『ガンダム』のすべて」と高く評価。富野監督の作り上げた、スペースコロニーに人が移住させられるなど身につまされる部分にも強く感じ入っていたようだった。
1980年に最初のガンプラが発売され、1981年からの『機動戦士ガンダム』劇場版三部作公開のころにガンプラが大ブームとなった後、大河原さんは独自にMSVをスタート。自ら「やりたい放題だった」と評するほど、自由にMSをデザインしていった。
同じころ刊行された、ガンダム模型本の金字塔とも言える「HOW TO BUILD GUNDAM」では、モデラ―側も『ガンダム』の世界観に入り込んでオリジナルの設定を作り上げ、ムック本「ガンダムセンチュリー」では型式番号などの文字設定が出てくるなど、『ガンダム』の世界観は様々なジャンルで多元的に発展していった。
また当時、MSV「MS-06R 高機動型ザクII」のイラストを初めて見た小田さんは、頭に稲妻が走るほどの衝撃を受け「立体物を作らないわけにはいかない!」と感じたという。また逆に大河原さんも、時代の要求で変化していくメカニカルデザインの研究に、モデラ―の作例を参考にすることもあると答える。デザイナーとモデラ―が相互に刺激し合ってきたことが、『ガンダム』シリーズ40年の歴史を支えてきたと言えるかもしれない。
また、ザクについても富野由悠季監督から「モノアイさえ守ってくれれば自由にデザインして良い」と言われたと語っていた。
『ガンダム』第1話のスタッフ試写に参加した大河原さんは、「(こんなにすごいものを)作ってしまって良いのか」と唖然としたという。特に「ザクがコロニーへ潜入していくシーンが『ガンダム』のすべて」と高く評価。富野監督の作り上げた、スペースコロニーに人が移住させられるなど身につまされる部分にも強く感じ入っていたようだった。
1980年に最初のガンプラが発売され、1981年からの『機動戦士ガンダム』劇場版三部作公開のころにガンプラが大ブームとなった後、大河原さんは独自にMSVをスタート。自ら「やりたい放題だった」と評するほど、自由にMSをデザインしていった。
同じころ刊行された、ガンダム模型本の金字塔とも言える「HOW TO BUILD GUNDAM」では、モデラ―側も『ガンダム』の世界観に入り込んでオリジナルの設定を作り上げ、ムック本「ガンダムセンチュリー」では型式番号などの文字設定が出てくるなど、『ガンダム』の世界観は様々なジャンルで多元的に発展していった。
また当時、MSV「MS-06R 高機動型ザクII」のイラストを初めて見た小田さんは、頭に稲妻が走るほどの衝撃を受け「立体物を作らないわけにはいかない!」と感じたという。また逆に大河原さんも、時代の要求で変化していくメカニカルデザインの研究に、モデラ―の作例を参考にすることもあると答える。デザイナーとモデラ―が相互に刺激し合ってきたことが、『ガンダム』シリーズ40年の歴史を支えてきたと言えるかもしれない。
視聴者から寄せられた質問で「ガンプラの登場で変化したこととは何か?」と問われた小田さんは、「メーカーがユーザーに向き合うようになった」と答える。それまでは玩具メーカーが独自の解釈で商品を開発していたが、ストリームベースをはじめとするモデラ―が模型シーンを牽引したことでユーザーの存在感が増大。また、より“アニメの設定や映像に似ている”ことも求められるようになった。
1980年代当時のエピソードとして、小田さんがガンプラを開発・製造しているバンダイの静岡工場に招かれ、設計者に対し直接要望を説明したこともあったという。メーカーとユーザーのベクトルがお互いの方を向いていることがガンプラの発展に大きく寄与し、長く続くシリーズを育てたようだ。
小田さんは、ガンプラに代表される立体物の製作を「目で見て頭の中で理解した形を手の中で再現すること」と説明する。作り手の思い描く理想像を現出させられることが立体化の醍醐味だが、その理想像は人によって異なるので、ガンプラの場合も設計者が異なれば同じザクでも形は異なってくる。廣田さんも、アニメだと作画するスタッフや演出によって表現に幅が出てきますよね、と重ねる。正解はひとつではなく、作り手の数だけ正解があると言えるだろう。
川口名人は、今のガンプラユーザーの多くはキャラクターとしてのMSが好きで買ってくれているので、作ってみて楽しかったら一歩進んで模型そのものを好きになって欲しいし、もっともっとチャレンジをしてみて欲しい、と語る。
さらに、最近特に増えている女性モデラ―についても、普段からメイクをしたり、色を意識したコーディネートをしていることをが活かせるので、オススメの趣味だと述べていた。
イベントの最後には、高橋市長とはたしおりさんが再び登場し、「来年こそはリアル開催をしたい!」と期待の声を上げる。
予定時間を大幅に超過するほど白熱した「メカデザイナーズサミットVol.08」のライブ配信は、約2時間で無事終了。
なお、本イベントの様子は今後完全版として改めて配信されるかも?とのことなので、続報をお楽しみに。
1980年代当時のエピソードとして、小田さんがガンプラを開発・製造しているバンダイの静岡工場に招かれ、設計者に対し直接要望を説明したこともあったという。メーカーとユーザーのベクトルがお互いの方を向いていることがガンプラの発展に大きく寄与し、長く続くシリーズを育てたようだ。
小田さんは、ガンプラに代表される立体物の製作を「目で見て頭の中で理解した形を手の中で再現すること」と説明する。作り手の思い描く理想像を現出させられることが立体化の醍醐味だが、その理想像は人によって異なるので、ガンプラの場合も設計者が異なれば同じザクでも形は異なってくる。廣田さんも、アニメだと作画するスタッフや演出によって表現に幅が出てきますよね、と重ねる。正解はひとつではなく、作り手の数だけ正解があると言えるだろう。
川口名人は、今のガンプラユーザーの多くはキャラクターとしてのMSが好きで買ってくれているので、作ってみて楽しかったら一歩進んで模型そのものを好きになって欲しいし、もっともっとチャレンジをしてみて欲しい、と語る。
さらに、最近特に増えている女性モデラ―についても、普段からメイクをしたり、色を意識したコーディネートをしていることをが活かせるので、オススメの趣味だと述べていた。
イベントの最後には、高橋市長とはたしおりさんが再び登場し、「来年こそはリアル開催をしたい!」と期待の声を上げる。
予定時間を大幅に超過するほど白熱した「メカデザイナーズサミットVol.08」のライブ配信は、約2時間で無事終了。
なお、本イベントの様子は今後完全版として改めて配信されるかも?とのことなので、続報をお楽しみに。
(ガンダムインフォ編集部)
MECHANICAL CITY INAGI PRESENTS メカデザイナーズサミット Vol.08
[開催日]2021年3月20日(土・祝)
[会場]いなぎ発信基地ペアテラス
[開催日]2021年3月20日(土・祝)
[会場]いなぎ発信基地ペアテラス
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