2008年5月13日 (火)
第43話「脱出」
前置きのナレーションなしで、いきなりサブタイトルが表示される。今回だけの措置は、それだけ中身が濃いという証拠。最終回らしい緊迫感が冒頭から醸し出される。
【四方からの攻撃】
ジオングは有線誘導によるオールレンジ攻撃をしかけるが、それがブラウ・ブロと同質と悟ったアムロはガンダムをジオングの懐に飛び込ませていく。この判断はニュータイプ能力とは別種で、アムロは戦術も向上しているのである。
【片腕を失うガンダム】
シャアとの戦いが白熱するにつれ、ガンダムは過去に例がないほど傷ついていく。人型をしているため、メカなのに「手傷」に見えてしまい、戦闘に絶妙な緊張感を与えている。
【シャアの着替え】
ララァに懇願されたときでさえノーマルスーツを無視したシャアだが、今回はついに着用するところまで追いつめられる。シャアはジオングに胸部から乗りこんでいたので、この後に頭部へ移る目的で着用したと見ることもできる。
【両エンジン壊滅】
ア・バオア・クーへ侵攻に成功したホワイトベースだったが、まず左エンジンに直撃をくらい大破、コントロールを失ったまま着底する。その直後、リック・ドムに右エンジンも破壊され、完全に動力を喪失する。艦を根城に敵の陸戦隊と死闘を演じなければ生き延びられない状況となってしまった。
ガンダムはジオングの胸部を破壊するが、カウンター的に頭部を破壊されてしまう。撃つ者は撃たれる者でもあるのだ。生物でもないのに「ガンダムが死んだ?」と感じる衝撃のシーンだ。「たかがメインカメラをやられただけだ!」とアムロが戦闘継続するのが、モビルスーツ同士の戦いをかつてないほど硬質に見せている。
【ジオング識別信号解除】
胴体が大破したことで、司令室にはロストと伝わってしまった。「赤い彗星も地に墜ちたものだな」とはキシリアの冷たい言葉。強敵だったシャアはそこまでアムロに肉迫されたわけだが、それだけでは済まない予感もここには漂っている。
【保身優先のトワニング】
シャア機の撃破に続き、N、S両フィールドが落ちたことを知ったキシリアは、部下を見捨てて逃げだすことを決意する。「今となっては脱出こそ至難のわざかと」と、トワニングはサブタイトルに関連した言葉を発するが、事後処理を請け負ったときにまず心配するのは自分のことだ。結局、彼らにとって現場の兵士は捨て駒にすぎない。
【倒れるガンダム】
ガンダムを自動操縦に切り換え、ジオングの首と相打ちに持ちこむアムロ。首のないガンダムが上方に向けて撃ったビーム・ライフルが、最後の一発となった。半身をさらに溶かされてくずおれるガンダム。ヒーローでありメカであるというガンダムの二面性をもつ哀愁がよく表現された末期である。
【危険なニュータイプ】
「シャアとアムロが生身で対決するなど、すでに戦争ではない」と第43話用予告で語られたとおり、モビルスーツを捨てた2人は直接対決へ移っていく。「いま、君のようなニュータイプは危険すぎる。私は君を殺す」というシャアの宣告は、強力な戦闘能力だけを示し、制御できるかどうかも不明なアムロが、大量殺戮兵器と本質的に変わらないことを指している。
【戦場の温度差】
Gファイターを失ったセイラが進む背景で「陸戦が始まってるって?」と呑気に室内でハンバーガーを食べる兵士が映る。ひとくちに決戦場と言っても、前線と深奥では温度差がある。
【議論しながら戦う2人】
「本当の敵はザビ家ではないのか?」などと議論しながらシャアと戦うアムロ。戦いの最中にパイロット同士が激論を重ねるのはガンダムシリーズ定番の演出手法。しかし意外かもしれないが、実は『機動戦士ガンダム』ではララァを例外として機動兵器の戦闘中に言葉を交わすシーンは皆無で、すべては「独り言」だった。このシャア対アムロの会話は、本編中で2人が交わす最初で最後の激論と言える。
シャアの額に傷はあるかないか? 当時、問題になったことである。素顔のシャアの額に傷が描かれている描きおろしイラストが存在し、小説版でもザビ家打倒の意志として自分で傷をつけている。ところが、設定資料や第2話映像などのシャアの素顔では傷があるようには見えず、かといってないとも断言できない状態である。この混乱を「傷の有無か不明なら、つけてしまえばいい」とリセットしたのが、この場面である。
【ニュータイプの時代】
2人の激突中にララァの思念が割って入り、遺志を伝える。終盤に近づくにつれ、こんな超常的で精神的な描写の比重が増す。セイラも加わって争いを止めようとする中で、ついにシャアは本音中の本音を口にする。「ジオンなきあとはニュータイプの時代だ」と。ギレンやキシリアの打倒もしょせんはそのための手段に優先度が落ちている(=ついでのこと)という言葉で、彼の後半の行動原理も理解可能となる。アムロに「同志になれ」と迫るのもシャアの文脈では自然なことだが、ニュータイプについて正確な知識をもたないアムロには、唐突すぎて飛躍を感じたに違いない。
【アイキャッチ】
ガンダムのいない初期バージョンに戻っている。これはガンダムが破壊されてしまった結果である。こんな隅々まで神経が行き届いているのである。
【血糊で滑る剣】
アムロは肩に突き刺さった剣を一回途中まで抜き、もう一度持ち直してから完全に引き抜いている。一度目は血脂で滑ったのだろう。空気漏れの穴を緊急ツールで塞ぐ手順も細やかだ。物語密度がギッシリでも、こうした描写を丁寧にひろって緩急をつけている。
【シャアの決意】
キシリアの脱出を知ったシャアは、彼女の討伐を決意する。高貴な地位にある者は、率先して危険にも身をさらすべきだというシャアの信念に反したからだ。これは「ノーブレス・オブリージュ」(noblesse oblige)というフランス語の概念がベースとなっている。
【手を上げかけてやめるセイラ】
兄キャスバル(シャア)との別れに際し、セイラは腕を上げかけてやめる。上げてしまえば永遠の別れの合図になりそうで、とてもできなかったのではないか。こうした微妙なニュアンスの演技が本作では実に多く、そのときどきの自分なりの解釈を入れて楽しめる行間、余白になっている。
【謎のバズーカ】
シャアがキシリアの首を吹き飛ばした武器には謎が多い。外形はリック・ドムの使う「ジャイアント・バズ」に酷似しているし、貫通したときの輝きからすると、ビーム兵器なのだろうか? 「ガンダム世界」にはこのような小型ビーム兵器は存在しえないのだが……。射出口から煙も出てるので、一条の光は弾道の演出だった可能性も大である。
絶望したアムロの前に、大破したガンダムの姿が見える。ハッチを開き、ボタンを押してガンダムAパーツ(上半身)を射出するアムロ。第19話や第21話でガンタンクの上半身を強制排除したのと類似のメカニズムである。ここで以前語られた「コア・ファイターは脱出カプセル」という設定が活きてくる。ただし、コア・ファイターが前後逆向きにBパーツに装着されていることだけは、永遠の謎である。
【クルーを幻視するアムロ】
絶望したアムロがララァに力づけられ、自分の帰るべきところ……仲間の姿を見て導くシークエンスは、本作最大のクライマックスである。「見えるよ、みんなが!」というセリフをきっかけに、激しい戦闘場面にBGM「平和への祈り」が流れるという逆接的な音響演出が感情を理性から解き放ち、何倍にも膨らませている。それぞれキャラクターに話しかけるアムロの言葉とリアクションもまた、ドラマの全体を総括するもので、ダイアローグが輝いている。その最中も「この船、目立ちますからね」とユーモアを忘れていない姿勢も素晴らしい。
【沈むホワイトベース】
全43話、人それぞれの思いと生活を乗せてきた場が永遠に失われていく。クルーには万感の思いが浮かんでいるはずだ。これもまた、いつかは捨てて遠く離れなければならない過去の象徴。ニュータイプの言葉が背負った「翔ぶ」とはそういう意味である。
【世代の交代】
この物語の全体像は、世代交代論にも集約できる。これまではアムロが旧世代への反逆、閉塞の打破、体制への革新などを背負って物語を引っぱってきた。そのアムロの危地に際して、さらに次の世代が絶望を打開する……。人の歴史はそうした繰り返しを永遠に続けていく。その点で、カツ、レツ、キッカこそが真のニュータイプかもしれないという予感は、幕切れにふさわしいものなのだ。
【鋼材に隠れているアムロ】
コア・ファイターは大破し、キャノピーの防護ガラスも割れてしまった。アムロは近くにあった鋼材で、自分の身体を爆発からガードしながら脱出を敢行した。最後の最後まで、こうしたディテールでアムロの脱出行の危うさを実感させてくれる。アムロの視線がランチから行きすぎて戻るところにも、主観的なリアリティがみなぎっている。
【過去を捨て、自ら飛翔する物語】
アムロはガンダムを捨て、最終的にはコア・ファイターも捨て、ララァのところ(冥界)に行くことも止め、自分の力で虚空を翔んで仲間のところへと向かう。そしてコア・ファイターは太陽の方へ進み、未来への予感を暗示して映像は終わっていく。ナレーションは「この戦いのあと、地球連邦政府とジオン共和国の間に終戦協定が結ばれた」と、さりげない語りで締めくくるが、「公国」ではなく「共和国」になった点が聞き逃せない。ジオン・ズム・ダイクンが設立した共和国へと回帰したサイド3。今後、どんな関係が築かれるのか、期待を残しつつフィルムは終わる。
【おわりに】
このように『機動戦士ガンダム』全43話のフィルムは、終始観客に真摯に向き合い、もっとも大切な……大きく開かれた未来像を提示して幕を閉じた。その後、どのような続編や解釈が行われたとしても、この43話の鑑賞を通じて感じられた気持ちが、まずは各自の心に残った真実なのである。さまざまな角度から「ネイティブ」な『機動戦士ガンダム』を検証していくプロセスの中でも、自分の気持ちごと「ありのまま」の素直な状態に戻して観たときに、充分応えてくれるだけの内容と価値が全43話という長大な時間の中に充満していることが再確認できた。こうした検証を触媒に、一人ひとりが自分の心に生じたものを大切に活用していただければ幸いである。
氷川竜介(アニメ評論家)
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