毎年の恒例となりつつある東京都稲城市主催の「メカデザイナーズサミット」が、3月14日(土)に稲城市立iプラザで開催された。
今回で3回目となる同サミットでは、同市在住の大河原邦男さんがホストを務め、ゲストにビジョンクリエイターの河森正治さん、司会進行にアニメ・特撮研究家の氷川竜介さんを迎えてトークショーは始まった。大河原さんと河森さんがいっしょになってトークショーに参加するのは初めてで、会うのも十数年ぶり。打ち合わせで河森さんが大河原さんのご自宅にうかがった際、立派な工房を見てとてもうらやましく思ったとか。
大河原: | 絵がヘタなので、そのフラストレーションを何かを作ることで発散してるんですね。 |
河森: | 絵がヘタというのは全然あり得ないんですけれども、この業界にいると恐ろしく絵がうまい方がいらっしゃるんですよね。 |
大河原: | 作画監督をしている人は天才ですね。私の場合、タツノコプロでは天野喜孝さんがいて、サンライズに行くと安彦良和さんがいるし。ずば抜けてすごい人といつもいっしょに仕事をしていたので。絵に関しては完璧に自信ないですね。 |
河森: | 自分もそうですね。安彦さんが横で描いているのを見ていると、ほとんど下描きなしで描いていくんですよね。決して手の動きが早いんじゃないんです。 ひと筆描きみたいにスルスルとためらいなく描かれている。すごいですね。 |
2人が天才と認める安彦さんは美術部出身で小さいころから絵をたくさん描かれていたそう。また北海道出身で雪景色を見て育ったこともあって明暗にすごく敏感で、それが絵の陰影やタッチに影響しているのでは?という話も。デジタル化される前は、アニメーターやキャラクターデザイナーが描く鉛筆線の特徴が、TVの画面や設定画でも伝わってきた。
そういう部分でいうと、安彦さんや天野さんら才能あるアニメーターは、線一本でも十分に魅力的だったと語る。
話題は幼少期のころに移り、大河原さんはモノづくりや機械をいじるのが好きで、逆に絵を描くのは二の次だったという。大学は美術系に進み、卒業後に服飾系の会社へ就職するも、転職してタツノコプロに入社する。大河原さんが「科学忍者隊ガッチャマン」で空想アニメでは日本初のメカニカルデザイナーになったのは、1972年。
アニメの業界に入ることになったのも偶然だったそうだ。
大河原: | スパイ映画の「007」がちょうどそのころに流行っていて、「ガッチャマン」という作品も、ジェームズ・ボンドばりに小道具とかいろいろ出てくるので、それまでなかったメカニカルデザインという仕事をつくったわけですよ。当時、アニメに詳しくて今ぐらい好きだったら、線の多いメカを描くとアニメーターに怒られるのはわかっていたと思うけど、そのときは知らなかったから。 自分の好きなようにゲストメカを描いてそのまま鳥海永行監督に渡してね。監督も処女作だったものだから意欲的で、線が多いままのデザインでアニメーターに描かせていたんです。「ガッチャマン」が終わったら背景のセクションに戻るという約束だったわけですけど、そのまま43年続けているという感じですね。 |
河森: | 今、振り返ると、当時にしては線もこまかいしデザインも複雑ですよね。自分はそのころはまだ中学生くらいで、一視聴者としてすごいなと思って見ていたんですね。それまでのものとは一線を画していて、明らかにメカ的にもアクション的にも進化していて、スタイリッシュ。すごくステキでしたよね。自分もアニメーターを経験してからメカデザインに入っていったのではなくて、「スタジオぬえ」という企画会社からのスタートだったんです。 ゲストメカをやっているときは「線を減らせ」って言われていたんだけど、「バルキリー」をデザインした「超時空要塞マクロス」は、やっぱり自分たちの企画だからどうしても線が増えていくんですよね(笑)。それは、怖いもの知らずじゃないんですけれども、現場を知っていたらできない。 知っていたほうがいいことと、知らないからできることってありますよね。 |
河森さんの少年時代も大河原さんに似ていて、ペーパークラフトやブロック工作に夢中で、絵を描き出したのは中学生になってからだった。
河森: | 自分の場合は中学のときに絵のうまい仲間ができて、仲間たちと放課後、学校に残って絵を描いたりモノを作ったりして遊んでたんですよね。中学3年生のときに「宇宙戦艦ヤマト」がTV放送されて、これはすごいと。そうしたときに友達のひとりがスタッフクレジットにスタジオぬえの名前を見つけてきて、連絡したんです。中学生でよくそこまでやったなと思うんですけど、それで初めてスタジオに行って。「ヤマト」でSFテイストにあふれた宇宙戦艦を描いていたスタジオって、どんなすごいところだろう!?……と思っていたら小っちゃな木造のオンボロアパートで(笑)。 昔の松本零士先生の漫画に出てくるような、四畳半SFの世界でした。 |
大河原: | サンライズの企画室も最初は畳の部屋でしたね。そういうところで「無敵超人ザンボット3」や「無敵鋼人ダイターン3」は生まれているんですよね。ぬえさんよりもひどいもんですよ(笑)。 今はアニメの制作環境もすごくよくなっているけど。 |
河森: | 七、八畳の部屋に4人のスタッフが詰まってて、物が崩れそうで。その時、「月に一回あるSFファンの集まりに来たら絵を見てやるよ」って言われて。高校に入ってから、集まりに行って自分が描いた絵を見せると、まあボロクソに言われるわけですよ(笑)。 よくもまあここまで言うな、というくらいコテンパンに言われました。 |
大河原: | サンライズ作品のメカデザインはそれまでずっとぬえさんがやっていたんですけど、加藤直之さんが早川書房などSF文庫の挿絵をやられるようになって。 仕事をだんだん出版のほうにシフトされて、それでサンライズから「メカデザイナーがひとりいないか?」ってことで、私が入り込んだんです。 |
大河原さんのサンライズでの初仕事は「ろぼっ子ビートン」で、ビートンの内部図解だった。
その後「ザンボット3」(ゲストメカ原案)や「ダイターン3」などを手掛けていくことになる。河森さんも参加していた「ザ☆ウルトラマン」に大河原さんも参加していたが、そのころは4作品を同時に進めるほど多忙だった。
▲「ザク」のデザイン初稿と、実際にアニメ制作に使用された設定画。
大河原: | 本当は『機動戦士ガンダム』もぬえさんがやる予定だったんですよね。 でも安彦さんが、「ぬえさんとやると疲れる」って言うんですよね(笑)。 |
河森: | (笑)すごくリアリティーを感じます。なるほど、思い当たる節がすごくあります。 |
大河原: | スタジオぬえを設立した高千穂遙さんとけっこう仲がよかったから、オーダーにも遠慮がないわけですよ。それだったらよそから来たメカデザイナーとやりたいということで。だから私はたまたまラッキーで『ガンダム』に参加させてもらったという感じですね。 |
氷川: | 最初はスタジオぬえが『ガンダム』に参加するはずだったというのも腑に落ちる話で、モビルスーツの元になったのはSF小説「宇宙の戦士」でスタジオぬえが描いたパワードスーツで、少し関係してますし。 |
大河原: | 安彦さんが『ガンダム』の主役として、パワードスーツを自分なりに描いてきたのが「ガンキャノン」の原型になるんですけど、我々の仕事っていうとマーチャンダイジングの対象はオモチャなんで、やっぱり子供が手に取ってくれないと成功しないんですね。 そういう部分ではちょっと派手さが足りなかった。それで「RX-78-2 ガンダム」のデザインができたんですけど、私が描いたものは最初「口」があったんですよ。「ダイターン3」みたいに。でも安彦さんが「口はないだろう」と(笑)。それで「マスク」にしました。 アニメではメインのメカというのは大勢の意見を取り入れていくものなので、自分の思いどおりにはならないんです。 「ガンダム」、「ガンキャノン」ときて、サンライズだからあと一体。サンライズは「3」が好きなんですよ(笑)。「ザンボット」も「ダイターン」もタイトルに「3」が付くし、ザンボットは3機合体で、ダイターンは3段変形だから、そういう流れで、『ガンダム』も主役メカは3体にして、タンクを追加しちゃえばということになった。ガンタンクだけは自由にできたので、あっという間にできました(笑)。 |
河森: | ジオン側のザクのデザインはどんな経緯でできたんですか? |
大河原: | あのころって敵方のメカって商品化しないじゃないですか。だからスポンサーからの制約はないんですよ。監督からOKをもらえればいいということで、富野さんが出したオーダーは「頭部にモノアイを盛り込んでほしい」というだけで、あとは好きにしていいと。私も当初はザクを続々出てくる「やられメカ」の内の1体だと思って、気楽に描いたんです。そうしたら第1話から「兵器」としての扱いになっていて。 あれもまたターニングポイントのひとつになっていますね。 |
河森: | 『ガンダム』のTV放送時だと自分はちょうど高校生くらいのときで、ぬえに出入りしてアルバイトをしていたので、そのときにタイトルがまだ「ガンボーイ」だったころの企画書を見せてもらって。 「ヤマト」からさらに進んだSFテイストのアニメができるんだということにビックリして。そのときに宮武一貴さんが「『ザク』がいいんだよ! これはすごいよ」と絶賛していました(笑)。「ザク」はこれまでのやられメカとは一線を画していたデザインでしたね。主役メカの「ガンダム」はまだオモチャの匂いが残っていて、「ザク」は本物の兵士が巨大化したような印象で、インパクトを受けましたね。 |
制約が多く調整も必要な主役メカよりも、自由にやれる敵メカにデザイナーとしてはやりがいを感じていた大河原さんに河森さんも同意見だった。ただ、河森さんは後発だけに、大河原さんら先人たちが開拓していないとことを見つけなくてはいけない、という苦労もあった。
大河原: | 私は「バルキリー」を初めて見たときに、単純でいてカッコよくてさらに理屈にあっていて、若くて粋のいいデザイナーが出てきたなと(笑)。 それといちばん評価しているのはガウォーク形態。あれもまたカッコイイじゃないですか。 |
河森: | ガウォークの元になったデザインは、もともとスタジオぬえで「とにかく人型じゃない主役メカをつくろう」というところからスタートしているんです。でも、なかなかできなかったんですよ。1年くらい。全然できないのいで、気晴らしに友達とスキーに行って。 そこでスキー場でみんなが滑っている姿を見ていたら、「みんなヒザを曲げている……」。 このヒザを曲げている姿勢がカッコいいなと。ただヒザを曲げちゃうとしゃがんでいるメカに見えてしまうので前後逆にしているうちに、子供のころに飼っていた鳥を思い出して、逆関節の鳥足にもっていったというのが行程だったんですね。 |
さらにガウォークの原型が、別企画で進んでいた「マクロス」の主役メカ「バルキリー」に盛り込まれていくことになる。河森さんはガンダムとの差別化を図り、それを徹底することでバルキリーのデザインが誕生した。
河森: | オモチャの変形ロボだと、コックピットやエンジンのスペースが考えられていないレイアウトで、ロボットに変形したときに中ががらんどうになってしまう。それでコックピットやエンジンの機能を損なうことなく変形するようにデザインしたのが「バルキリー」なんです。 「バルキリー」はとにかく「ガンダム」のフォルムから変えなきゃいけないと思って、ファイター形態では2次元ノズルになっていて、そのノズルが前後に開いたら足になる。ヒジのところも突起を設けて、これはそれまでの主役メカではなかったはずで、ファイター形態時には整流カバーになる。あとは肩の後ろにライトを付けたりしてます。 |
会場では貴重な資料、設定画、写真を交えながらトークが進められ、大河原さんと河森さんが商品のプレゼン用に製作したモックアップやレゴブロックも、ご本人による解説付きで披露された。河森さんによると、メカの変形機構そのものは1週間あれば固めることができるが、それを破綻なくかつプロポーションを整えて商品に落とし込むのに時間がかかるとのこと。
▲変形機構を検証するため、お二人が自ら制作したモックアップ。お互いに興味津々で覗き込んでいた。
さらにトピックは広がり、CGアニメーションや話題の3Dプリンタ、お二人ともお好きな車の話など多岐にわたった。また、Twitterや、会場にいるファンから直接質問を募った質疑応答では、マニアックな質問もあれば、「僕の考えた設定でオリジナルのモビルスーツをデザインしてください、とお願いしたらいくらでやってくれますか?」という直球な質問や、メカニカルデザイナーをめざす方から「今の時代、メカデザインの仕事一本で食べていけるのでしょうか?」という質問も。
河森さんは仕事をメカデザインに絞らないほうがいいとアドバイスしつつ「デザインそのものはいろんなところにつぶしがきくというか。デザインの考え方そのものはすごく有効だと思うんですね」とコメント。河森さんは監督・演出でも活躍されていて、誰にも演出の方法を習わず、デザインの方法論で演出を手がけていた。それがほかとは違うアプローチを生みだしているのではと自己分析し「デザインの考え方をもっていれば、その時代に合った仕事につけるんじゃないかなという気がします」とアドバイスしていた。
大河原さんも「まず何でも観察・分析するというのがいちばん大事。それと、デッサン力は基本。形を正しく捉えるというセンスを磨く」といったデザイナーとしての基礎体力をまずつけることを進めていた。
経験に裏打ちされたアドバイスは深くうなずかされるものばかり。最後に3人のサインを入れたポスターが抽選で会場のファンにプレゼントされ、メカデザイナーズサミットの第3回は好評のうちに幕を閉じた。
▲お二人が手がけたさまざまな作品に話題が及び、語り尽くせないほどの苦労が明かされた。
また、今回の会場では、稲城市商工会認証ブランド「稲城の太鼓判」認証商品や大河原氏がデザインした同市のイメージキャラクター「稲城なしのすけ」グッズの販売に加え、稲城市の工業製品の展示が行われた。
さらに、トークショーにさきがけて行われた「大河原杯メカバトルトーナメント」では、ガンダムシリーズをはじめとしたアニメーションに登場するメカを模した数々のロボットが集結し、白熱の戦いを繰り広げ、大きな盛り上がりを見せた。
▲「稲城の太鼓判」商品の販売や工業製品等の展示も行われ、盛況だった。
▲大河原メカバトルトーナメントで優勝したジオングは、頭部の飛行機構で来場者を驚かせた。
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